全力解説 vol.17「正露丸って効くの?」

前回と前々回から引用しているテーマ募集の画像ですが、
一項目だけ抜群に票を集めてないやつがありますね🐻❄️

これは逆子やニセ医学の解説希望が強すぎるのか、
あるいは皆様からの正露丸への関心が極端に少ないからなのかは分かりませんが、
あの正露丸ぞ?
昭和~平成にかけてあらゆるご家庭の薬箱のSS席に鎮座し続け、
日本人のお腹を守ってきたあの正露丸ぞ?
私(やっきー)も幼少期にお腹を壊した時には正露丸を飲んだ覚えがありますし、
読者の皆様にもそういった方は多いはずです。
しかしながらよく考えてみると、
お腹が痛くて病院を受診した時に正露丸を処方された経験はほとんど無いと思います。

ってことは医者は正露丸を信用してないの?どうなの?というところが気になりますよね。
というわけで本日は「日本でめちゃくちゃ有名だけど医者は処方しない薬」の最高峰として名高い、
「正露丸」は本当に効くのかどうか、解説していきましょう🐻❄️
正露丸の歴史
正露丸の成分についてお話しする前に、
小学校の理科で、木を熱すると木酢液(もくさくえき)と木タール(もくタール)が出てくる、という実験があったのを覚えていますか?

出典:中学受験ナビ
私としては「木酢液って変な読み方だなあ🐻❄️」「何のためにこんなことやってんだろ?🐻❄️」という印象しかなかったあの実験ですが、
この木タールと木酢液の正体はといいますと、
ざっくり言って木片の中の油に溶ける成分が「木タール」、水に溶ける成分が「木酢液」として分解されて出てきたものです。
この「木タール」には防腐剤としての効果があったことが古くから知られており、
古代エジプトのミイラの防腐剤として、この木タールが使われていたほどです。

また、木酢液にも農業における害虫予防や土壌改善、消臭などの効果があり、実用性は高いですね。
小学校で木タールと木酢液を精製するこの実験が行われたのは、
このように用途の広い物質が比較的簡単に作れることと、
有機物の熱分解という化学の基礎が簡単に学べるから、というのが理由でしょう。
一般的に「タール」と呼ばれるものの多くは、石炭から精製する「コールタール」を指し、
コールタールはあんまり人体に使って良いものではないですが(低濃縮のコールタールが塗り薬に使われることはあるが一般的ではない)、
この木タールは人体にも使用できますし、用量を守ればそのまま飲んでも別に構いません。
ただし木タールはその製造法からお察しの通り、強烈な焦げた匂いを発するため、基本的にはそんなに美味しいもんではありません。
端的に言えば「山火事の味」です。

余談ですが、フィンランドの伝統的なお菓子・サルミアッキはその強烈なアンモニア臭と塩味から「世界一まずい飴」として知られていますが、
フィンランドのFazer社が作っている「Pantteri」というお菓子はそのサルミアッキをシュガーコーティングした商品で、
日本には流通していませんが木タールで風味付けをしたものも存在しています。

出典:lumous
フィンランドのお菓子や雑貨を輸入している「lumous」を利用すれば、通販で取り寄せることも可能です。
私は遠慮しておきます🐻❄️
さてさて、何故こんなに木タールの話をしてきたかと言いますと、
正露丸の主成分である「木クレオソート(もくクレオソート)」は木タールを蒸留精製して作られるからですね。

出典:大幸薬品
上記のように木タールは熱した木から染み出た液体なので直接飲むこともできるとはいえ、ほとんど誰も使わなかったのですが(ぶっちゃけ匂いと味のせい)、
船舶産業においては船体に塗って防水性を高めたり、建築・工業分野でも建材の防腐剤として使われたりしてきました。
そんな中、1830年にドイツの化学者であるライヘンバッハが木クレオソートの精製に成功します。

木クレオソートでは木タールの独特な臭みや味がかなり抑えられた(無くなったとは言ってない)ため、それまでとは段違いに使いやすくなり、
当初は化膿した傷の治療に用いられましたが、のちに食肉の防腐剤として使用され、さらには殺菌作用を期待して胃腸薬として使われるに至りました。
木クレオソートの精製法はけっこう簡単だったので欧米でもよく使われ、
日本にも江戸時代に長崎の出島経由でオランダ人によって持ち込まれました。
この時は「ケレヲソート」として取り扱いが行われている記録があります。

出典:長崎市
時代が進み、陸軍の軍医をしていた森鴎外らによって軍薬として活用され始めると、
1886年には日本薬局方にも「結麗阿曹篤(けれおそおと)」として収載されます。
ちょうどこの時期は、日清戦争を皮切りとして日本が大規模な対外戦争に躍起になっていた時期であり、
特にロシアとは1895年の三国干渉(日清戦争に日本が勝利して領土を得たが、ロシアがこれに異議を唱えて返還を求めた)をきっかけにバッチクソに仲が悪くなっていました。
1904~1905年の日露戦争の時期には、「征露(ロシアをぶっ潰してやらあ)」という言葉がごく当たり前に使用されるようになっていたらしく、
「征露軍」「征露歌」といった言葉もよく使われていたようです。おそロシア。
その流れの中で開発された薬が、皆様もご存知の「征露丸」です。

日露戦争において、日本軍が外国の慣れない環境で腹痛や下痢を起こした時のために「征露丸」が配布されました。
ただし当時の征露丸は今以上にクセのある味と匂いだったらしく、
内服を命じられても飲まないか吐いてしまう兵士も多かったため、「天皇陛下の命令やぞ」と無理やり飲ませたという記録もあるほどです。
そんなこんなで1925年、日ソ条約が結ばれて国交が正常化される頃には「征露」という言葉そのものが死語になってしまったわけですが、
商標登録され、軍薬として一定の地位を得ていた「征露丸」だけは生き残り続けていました。
この状況にロシア側も「征露丸って名前やめろや」という至極真っ当な遺憾の意を表明。

しかし征露丸を開発した中島佐一は「いやふざけんな俺様の征露丸の名前は変えねえかんな」とこれを断固拒否。
普通に日露関係にヒビが入りかねない話ですが、
外務省・内務省・特許庁らは折衷案として「征露丸の商標登録は取り消すけど、名前を使うの自体は禁止しない。でもこの名前を使って何か問題が起きても政府は関係ないからね」と発表しました。
この時、征露丸を販売していた他の業者は「親露丸」「戦友丸」「平和記念丸」などの名前にチェンジすることによりロシアとの関係を壊さないよう涙ぐましい努力で立ち回っていました。

一方その頃、征露丸開発者の中島佐一は「征露丸」の名前を使い続けてました。
何というかアレですね、阪神による「読売倒せコール」を彷彿とさせるようなアレですね🐻❄️
しかし終戦後、1946年に征露丸の製造販売権が中島佐一から現在の大幸薬品(ラッパのマークでおなじみ)に継承されると、
さすがに戦争放棄を謳った憲法を出しておきながら「征露」は無えだろという話になり、
1949年には「忠勇征露丸」から「中島正露丸」に改名、
1954年には晴れて現在と同じ「正露丸」という名前になったわけです。

出典:PR TIMES
うーん、正露丸の歴史は実に深いですね🐻❄️
参考文献
正露丸に効果はあるのか?
さて、それではいよいよ本題です!!!
正露丸に医学的な根拠は果たしてあるのでしょうか!!!!
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