全力解説 vol.66「タクロリムスって不妊症に効くの?」

2026年5月、国立成育医療研究センターの発表が話題を呼びました。
不妊症患者さんを対象とした試験で、免疫抑制剤「タクロリムス」により約60%の方が妊娠に至った、というものです。

原因不明の不妊症の中で、母体の免疫が関与していることがわかった重症不妊症患者さんを対象に、免疫抑制剤の「タクロリムス」を用いた治療を行った結果、1回の治療で約60%の方が妊娠に至りました。
これに対し、不妊症に悩む方々からの歓喜の声と、
医療従事者(というかほぼ産婦人科医)からの「本当だとしたらスゲエけどもっと慎重に考えるべきでは」という意見、
それぞれの賛否が重なりこの時期のツイッターはまあまあカオスな状態になっておりました。
なお私はちょうどこの時、crumiiに寄稿した反ワクチン三部作やサポートメンバー用の質問スレッドに注力していたため論文の中身を精査する時間があまり無く、
そうこうしているうちにSNSどころか日本中が騒然となった事件が起きるなどしたため、話題にのぼる機会は減ってしまいましたが、
かなり論じ甲斐があるテーマなので本腰を入れて取り組んでみたいと思います。
なぜ論じ甲斐があるかというと、不妊治療領域でかれこれ30年くらい話題にのぼり続けているTh1/Th2比の話が大きく関わってくるためです。
ある程度、不妊治療を進めていった方の中には、Th1/Th2比の測定の話を聞いたことがある、あるいは医師に勧められたという方も少なくないと思います。
よって今回は、タクロリムスに意味があるのかどうかにとどまらず、Th1/Th2比を測ることに意味はあるのかという問題にも切り込んでいきます。
ていうか免疫抑制剤なんて処方する側の立場からするときちんとした適応がない限りそうそう軽々しく出すわけにいかないハイリスクな薬剤なわけで、コレが一人歩きしてしまうことにはまあまあの危機感を持っております。

ちなみに今回の記事ですが、プレスリリース経由だと論文の要約版しか読めなかったので有料の全文版をゲットし、
それをもとに友人医師複数名のアドバイスを受けつつ執筆しました。
というわけで生殖医療の歴史を振り返りつつ、いってみよう🐻❄️
生殖医療の歴史と免疫学
「生殖医療」という分野の発展スピードは凄まじいものがあります。
1969年にエドワーズが人間の体外受精に成功すると、
1978年には歴史上初めての体外受精児、ルイーズ・ブラウンが誕生し、
1992年には顕微授精が実用化されたことで男性不妊にも革命が起きました。
わずか10年や20年でこれだけ技術が躍進する分野もなかなかありません🐻❄️
ただ、ここまでの不妊治療技術の躍進は、言わば「どうやって受精卵を作るか」に注力されたものばかりです。
もちろん、これはこれでメチャクチャ大事な技術であることに疑いの余地はありませんが、
体外受精まわりの知見の蓄積に比べて「いかにその受精卵を着床させるか」という研究はあまりにも進みづらかったのです。

なんせ、卵子や精子は体外に取り出せるものであり、顕微鏡での観察も容易なので研究が進みやすかったわけですが、
着床は体内で起きている現象なので直接の観察が不可能、ヒトの着床プロセスが独特すぎて動物実験で代用できない、着床にかかわる因子が多すぎる、
というかそもそも着床のプロセスの全貌は未だに謎だらけという激烈な難易度を強いられているので、それもやむを得ないことでしょう。
「受精卵を作る」も容易とは言いませんが、「着床させる」のハードルはさらに高いのです。
ラブレターを送るのは簡単だけど恋人になれるかはまた別の話、みたいな。違うか。違うな。
それでも世界中の生殖医学研究者たちは、様々な方面から「着床」について考える試みを着実に進めていきました。
その中の一分野が生殖免疫学と呼ばれるものです。
生殖免疫学
「妊娠」と「免疫」は切っても切り離せない関係です。
医学会でこの問題が取り沙汰されたのは、1953年に免疫学ガチ勢の生物学者ピーター・メダワーが「妊娠免疫のパラドックス」を提起したことに端を発します。
通常、赤の他人の臓器を移植すると拒絶反応(≒免疫反応)が起きてしまうものですが、
(他人である父親の遺伝子をもっているにもかかわらず)胎児や胎盤に対してなぜ拒絶反応が起きないのだろうか?という問いが「妊娠免疫のパラドックス」です。
一方で、メダワー先生は免疫学に関する研究を進める中で「免疫寛容」(本来排除すべき、自分の遺伝子由来でない組織を受け入れる)という現象が存在することを実験で示し、
この発見がのちに臓器移植の基礎となったことで1960年にノーベル賞を獲りました。
さすが免疫学ガチ勢。メダワーのメは免疫のメ。

出典:Medawar Pathogen Research
これによって「母体が胎児や胎盤を必ずしも拒絶するわけではないらしい」というところまで判明すると、生殖と免疫の関連性を解明しようという熱も高まり、
1967年には生殖免疫学国際調整委員会(ICCIR)が設立され、定期的なシンポジウムが開かれるまでになりました。
とはいえこの頃の生殖免疫学のメインコンテンツは抗精子抗体(女性側の免疫が覇王色の覇気で精子を倒してしまう)であり、着床の話はオマケくらいの扱いでしたが、
1977年のコムロスによる発表を皮切りに「異常な免疫の影響で流産が起きているケースもあるかも」という仮説が持ち上がります。
このあたりから「着床を妨げている免疫的な因子があるのでは?」という説が生殖免疫学における重要テーマとなっていきます。
Th1/Th2比という概念
そんな中、1993年。
カナダにおける生殖免疫学の第一人者であったトーマス・ウェグマンは、
・ヒトの免疫細胞の中には「Th1」と「Th2」の働きをするものがある
・Th1は「胚(受精卵)の拒絶」に、Th2は「妊娠の維持」に作用する
・つまりTh1が強い人は着床しにくく、Th2が強い人は着床しやすいのでは?
(≒Th1/Th2の比が大きい人ほど妊娠しにくい)
という仮説を発表しました。
今なお活発に議論される「Th1/Th2パラダイム」です。
非常に単純明快で、それでいて(当時としては)一定の根拠もある言説であり、
このTh1/Th2パラダイムは流行りました。めっちゃ流行りました。
ここから生殖免疫学の新たな時代の夜明けぜよ!と思われましたが、
ウェグマン先生はこの仮説を発表してからわずか半年後、1994年1月26日に脳出血で急逝します。52歳という若さでした。
生殖免疫学について多大な功績を残した偉人なだけに、彼自身がこの仮説の真偽について検証する時間がほとんど無かったことが悔やまれます。
関係ないけど肖像写真がめっちゃいいおじいちゃん過ぎる。
…あれ?52歳だよな…?ゲフン…

出典:Thomas G. Wegmann (1941–1994)
ところが現在では、このTh1/Th2パラダイムは大間違いでもないけど正確とも言いがたいことが分かっており、
だからこそ今回のタクロリムス研究のように賛否の分かれる存在となっているのです。
ここから、さらに核心に迫っていきましょうか🐻❄️
Th1/Th2比に意味はあるのか?
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