やっきーの1週間コラム:⑥なぜ『ブラック・ジャック』は名作なのか?

最近よく話題に上げている『ファーストクライ』感想記事だが、記事公開から一週間足らずで10万PVに達した。現在では私のブログにおいて一八先生と腟けいれんに次ぐ第3位のPV数となっている。なんちゅうラインナップだ。
あまりにも要望が多かったので第2話の実況生配信をしてみたところ、これが普通にドラマとしても楽しめた。
相変わらず手術シーンはドラマの都合を優先しすぎてメチャクチャだったし、細かいツッコミどころも挙げればキリが無かったが、
「成長後の主人公」光井のバックボーンの片鱗が明かされ、「成長前の主人公」永坂の第一歩が描かれるなど、ドラマ全体を通してコレを見せたいんだなという意図は第1話よりも伝わった。核となる物語が動き出した感もある。
乗り掛かった舟(※頼まれていないが勝手に乗った)でもあるし、crumiiに解説記事を書いたりしたので全くの無関係とも言えなくなった。いっそ最終話まで完走してみようかという気持ちもあるが、予定は未定である。
さて、当該記事において私は繰り返し「医療描写がおかしい」と述べた。
だが、その一方で「フィクションなんだから必ずしも医療描写が正確である必要もないよな」という気持ちもある。そこについて掘り下げすぎるとブログとしての視点がブレるので、今回は割愛したのだが。
「医療描写が正確である必要もないよな」の代表事例が『ブラック・ジャック』だろう。私が最も好きな医療漫画のひとつだ。
ブラック・ジャックは天才外科医として描かれているが、人間から人間への脳の移植をしたり、人間の腕を鳥に変えて飛べるようにしたりと、その医療レベルは天才どころか人類があと500年経っても到達できそうにない領域にある。
なぜ『ブラック・ジャック』は許されて、他の医療フィクションでは許されないのか?
ピノコが白血病を患った際、「血を全部入れ替えればいい」という、当時の医療水準からしてもそんなわけがない治療が行われたのに、それでも医学を無視した駄作として扱われない理由は何か?
(白血病は血液のもとを作る骨髄の異常なので、緊急処置として交換輸血が行われる可能性はあるが根本治療にはならない)


出典:ブラック・ジャック『ピノコ生きてる』
そう考えると、この疑問は『ファーストクライ』だけに留まらず、あらゆる医療フィクションに敷衍できる。
逆に「なぜ『ブラック・ジャック』は医療描写が荒唐無稽でも名作と呼ばれているのか?」と的を絞って論じることもできる。
「手塚治虫先生のストーリーテリングが上手すぎるから」の一言で片付けられなくもないのだが、それだけで済ませてしまっては惜しい。
マンガ医学解説ブログを書いている以上、あだや疎かにできない大事なテーマだ。せっかくの機会なので、ここは一度真剣に向き合ってみたい。
「フィクションとして許される嘘」とは一体何なのか?
この問題に対し、2000年以上も前に答えを出していた人物がいる。
アリストテレスである。

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